いのちの
ふる里の扉をあけに
稲霊に誘われた共振・共鳴・共時の旅の記録
書籍『死んでも生きているいのちの証し』「帯」記載の文言より
酒乱人生から夫婦二人三脚で新たな生き方を再出発させた著者。自らの足元を照らすかのように出会う共時性現象の体験記録を随想としてまとめています。その中心は、題名の通り、生命の本質は死なないということ。例えば、平成5年8月6日に広島で催された岡本天明絵画展にまつわる話です。訪れた著者夫妻には、「一羽の折鶴」との鮮烈な出合いが待っていました。この件に関しては、後年出版された『神秘の大樹 ヒロシマとつる姫』の中心的エピソードにもなっています。
おそらく「死んでも生きている」というスピリチュアルな副題から誰も「食」を連想しないでしょう。また、一般的な認識として「共時性」というテーマからも、「食」を連想する人は少ないかもしれません。しかし、人間の、少なくとも私たち日本人の「いのち」のシンボルであるといっても過言ではない稲やお米。本の表紙を飾る稲穂は、そのことを象徴しています。
「〝象〟が待っていた山峡の水車村」の一節
(中略)
玄関から真すぐ入った所に、桧の木の香りが漂う客間があって、窓からは、先程の水車村が、額縁の絵のようになって映ってくる。
建物の外装も内装も、厚く割った木目の板が組まれていて、その幾何学模様が、何とも氣持をなごませ、心を浄めてくれる思いになる。
自然木の素顔に彩られた室内には、いくら探しても、新建材は見当らなかった。自然の中に溶けこむ店の雰囲氣を楽しみながら、そばの出来上りを待った。
注文したメニユーは、天ぷらそば、そばがきぜんざい、手作り田楽(コンニャク)である。テーブルの上には、兎の木彫りが、手のついた篭の中から顔をのぞかせている。
あー面白いなー、可愛いいなー、と思い、今度は、隣の無人のテーブルものぞいてみた。そこには、猪がある。……ふと、〝象〟はいないかなー、と、他のテーブルを覗いてみたが、どこにも見当らない。
象は、どこで姿を現わしてくれるのか、と……象と出会えばパーフェクトになるのに、と、妻が着ているジャンパーの〝象・鹿・虎〟のことを思った。鹿と虎は、連続して出会うことができた。あと、象と出会うなら、妻のジャンパーの刺繍は、大事な〝縁〟の真実を証してくれることになるはずだ。
もし、旅の出会いで、虎と鹿に止どまるならば、妻のジャンパーの絵柄には、それほどの意味をもたなくなると、やはり、偶然の域を出ないのか、と、これまでの確信を弱めることにもなりかねない思いが、隙間風となって吹いている。
お茶をいただきながら、妻との会話も途切れがちになり、次第に、二人の間には、呼吸が止ったような静かな時が流れていた。と、その時である。突然に、
「あれーっ、あれーっ」
と、叫びだした妻は、激しく腕を伸して、指先で、あれーっ、と叫んだのである。
すぐに振り向いて見たが、指先の方向に何があるのかもわからない。その時、
「お父ーさん、象だあーっ」
と、再び叫んだ。象が出現したのである。客間の入口隙に、大きな耳、どっしりとした足、立派な鼻を持ち、静かに半眠した可愛いくも、尊厳さのある白磁器製の象が立っていた。
周囲の客人には、何がどうしたのか判らず怪奇な出来ごとと思ったかもしれない。妻と私は、象しか見えなくなり、夢中で写真を撮りはじめ、妻は、一心に心結びのぺンを走らせていた。
パッ、パッ、と連続して色々の角度から写真撮りに走り廻る私は、心の中で、これは偉いことになったなぁーと思った。遊びでない真剣な何ごとかが動いているのだと思った。何であるか、はっきりしないが、それが、いのちの中から魂の叫びのような思いとなって押し上げてくる。眼で見える世界は、立体的で、時間、空間の中で動いているが、この自分のいのちの中にはそれがない。平面的で、時間もなく空間もなく、それでいて、天地万物大普遍の世界であることが実感してくる。
(後略)
「第二章 共時現象体験の旅」>「旅の第四日(十月十日)」>「〝象〟が待っていた山峡の水車村」一六八〜一七〇頁
「終って終わらぬ共時の旅」の一節
(同上)
(中略)
岡本天明の魂も、宮沢賢治の魂も決して死んで終ったのではなく、縁ある人々の心の共鳴磁場の中で魂の灯は消えることなく輝き続け共に生きている。
文字のひびきや数のひびき、そして、色のひびきを心の舟として、沈黙の師となる愛となって活き活きと生きているのが現実と思っている。そして、何よりも自分という存在は
〝複合霊体を乗せたいのち船の船頭〟さん
と言った方がぴったりである。
旅の最終に宮沢賢治の映画を観て家に帰えれば、〝八〇円〟切手〝八枚〟の宮沢賢治が待っていて、発信人は、岡本天明の御夫人からであるとは、まさに一本の光の糸となって結ばれている世界というほかはない。
農を愛し、米を尊び、生きる原点に敬虔な想いを深めた賢治の魂が、岡本天明の魂と合流する次元とは一体どこかと考えた時、そこは稲霊(米のいのち)のひびきの世界であるのではないかと考えられる。
そこはいのちの最前線といわれる世界であって、天地自然の生命情報が最も集結される次元といえる。人間なら、
〝へソ(臍)の部分〟である。
生命情報力最も集結すると言っても、その大調和力の生命情報には、ピン(高)からキリ(低)まであるとみている。いのちの最前線のへソというのは、食物が人のいのちに転換する〝生命エネルギー転換次元〟であるから、その〝食性〟によって生命情報は、ピンからキリまであり、例えば、菜食系の人、穀菜食系の人、肉食系の人では、その普遍力に満ちた生命情報に大きな差が生ずることになるだろう。
その能力の高いものは植物である。大地に根を下し、地球生命の体温の中で親の心(地球の心性波動)をしっかり受け取り、自然のリズムにそって共に生きる。また、地上では、天の氣を枝葉でキャッチし、宇宙の大調和力を受けとって育つことになる。
ところが、動物は大地から分離して生きているから植物のような訳には到らず、ましてや、知性の高い人間は、生命情報感ではキリ(低)に属することになる。おのずから五感で感ずる外的心の情報にたよりがちとなり、内的・生命根源からのいのちの情報(食)にはあまり心を向けてくれないようだ。
穀物の中でその生命情報力の高いものとしてはやはり五穀であろう。その中心をなす〝米〟が人間食の究極となろう。
稲は、水性植物といえるほど水を好み、根も深く、半年間もじっくりと天地の生命力を吸収し、蓄えをして実らせてくれる。
万人を守る生命素としてはこれ以上の食糧はないと思うし、米が中心となって光れば、他の食物たちは皆光ることになるのではないか。天地自然の生命情報に充満した〝米の魂〟こそ、〝稲の魂〟であり、天地を代弁する沈黙のひびきを持った人間の生命に最もふさわしい生命だと思っている。
一粒の米には、天地自然の普遍力が宿っている。
稲が天地の生命情報を収集して、米に凝縮させ、食となって胃で燃えて、腸で人間の生命に転換する〝へソ(臍)〟の次元が、地球生命と宇宙生命のいのちの凝縮された
〝調和意識エネルギーの中心〟
であるといえる。そして、へソ(臍)の次元こそ生命存続のいのちの鍵を握るものであり、生きるいのちの聖地であると思っている。
世に多くの聖地と言われる場所があるものの、本当のいのちに満ちた聖地は、へソ(臍)の次元であると私は考えている。ここは、宇宙の意志が満ち溢れている
〝稲霊の次元〟
であるからだ。
そして、浄化された師となる人間の魂が生命同化する次元であり、愛の調和情報を文字、数、色のひびきに乗せて発信させている次元と考えている。
岡本天明の魂と、宮沢賢治の魂が合流した次元とは正しくこの稲霊の次元ではなかったのか。
(中略)
妻の意識レベルには、かなり普遍的な情報チャンネルが開かれているのではないか、と、そう思われる一筋の光が見えてくる。それは、妻自身の言う〝稲霊の世界にいるから結ばれてくるのです〟
と言う心結び〝いろは四八字〟と〝共時性現象〟のことである。
私は、あなたは〝米になった女〟か、と、何度か妻に言って来たが、意識的次元ではどうやらそのような氣持にもなる。妻がよく言うことに、
〝皆さんは、霊界の世界、私は、米の心と一緒のところにいる〟
ということがわかる思いだ。また、
〝霊界は、憎んだり、傷つけたり、争いが絶えないけど、稲霊の世界から文字、数、色にひびかせる沈黙の世界は、傷つけ合うことはありません〟
と言う。
いのち育む米を中心とする食の次元、すなわち、人間の生命エネルギー転換次元から、こちらを見ているような意識世界のような気がする。
この生命エネルギー転換次元(食の次元)こそ宇宙と地球生命の最前線であり、その自然界の情報がいのちの火となって燃え上る次元である。
この時、内なる魂の情報が、いのちの光に照し出され共振共鳴が起き易くなり、共時現象は、この生命同化が起る生命エネルギー転換次元の深い無意識レべルの時、最も多く発現するように思っている。
すなわち、米(食霊)が、いのちの光となって燃え上る世界であり、それはまた、人の心の発生次元の世界とも言えよう。
妻が言う稲霊(米の心性エネルギー)が、人のいのちとなり、心のひびきとなる言葉の次元であり、深い無意識レベルの世界ということができるのではないだろうか。その世界こそ
万物普遍の世界であり、
共振共鳴のエネルギーが輝き合い
共時の海は、
いのちの愛で満ち溢れる
そして、
共時の縁で結ばれ
喜びを重ね
調和の心に目覚め
熱いいのちの愛を感じ
深い自己調和の心が湧き起こる
そして、
自己に目覚め
今の心に目覚め
生きる原点に目覚め
本当の幸せに目覚めてゆく人生
ではないかと思っている。
生命よ、食よ、五穀よ、
米のいのちよ、ありがとう。
〝旅は終れど
共時の旅は
永遠に流れる
宇宙のいのち
いのちと共に
終りなし〟
「第二章 共時現象体験の旅」>「第六節 終って終わらぬ共時の旅」二五二〜二六〇頁
まえがき
第一章 副題〝死んでも生きている〟その秘密と現象八例
第二章 共時現象体験の旅
あとがき
本の副題名を決定したのは、平成九年二月一日のことである。それまでの間どうしたものかときめかねながら、体験記の原稿文を書き進めて来た。主題の〝いのちの証し〟は変らなかったが、サブタイトルが出てこない。私は、メモ用として、失敗した原稿の下書き用紙と、筆を持って妻のところに行き、テーブルの前でしばしの時を過ごした。次第に静かな心となり、思念が消えたかと思ったその時、一瞬の閃きが走った。
〝死んでも生きている〟
という思いが、心の奥に激しく刻まれる感じになり、その時既に、右手に持った宋色の毛筆で〝いのちの証し〟と大きく書き、次に、黒色の毛筆で〝死んでも生きている〟とサブタイトルを書いた。
やっと決めたぞう、と思い、妻に見せたところ二言もなく大賛成してくれたのである。その時妻に、
「お父さん、その裏には何が書いてあるんですか」
と聞かれたので、フィッと裏返えしをしてみると、その二行目には、 ……宮沢賢治の魂……云々。
と書いてある。
えっ……宮沢賢治ではないか……
えっ……賢治は、九月二一日に亡くなったんだ。九月二一日……
〝九二一〟!
あっ、今日だ。今日は、平成九年二月一日だっ
〝九二一〟!
宮沢賢治の魂がここに生きて教えてくれたのだっ……。〝九二一〟の賢治の数霊は、今日の数のいのち〝九二一〟と共振共鳴して、
「賢治だよっ、賢治だよっ、
それでいい……
〝死んでも生きている〟
それでよいのだぞっ」
というような、〝思えば通わす命綱〟
となって、今、捨てられそうになった一枚のメモ用紙の文字にも、暦(九年二月一日)の数字にも、心を寄せる者にはその魂のひびきを通わせ続けている真実があったのである。
このことがあって間もなく、下書きから本原稿に清書する日々が続いたのである。いよいよ脱稿間もない今日、三月九日(旧暦・二月一日、この項の宮沢賢治の魂と、サブタイトル決定の秘密を書き終えたのである。
タイトル決定九年二月一日(九二一)
宮沢賢治の命日、九月二一日(九二一)
この項脱稿旧暦九年二月一日(九二一)
と、賢治の魂は、最後まで見守ってくれたとしか私には思えないのである。
心を澄ませば、一片の紙の〝文字、数、色にも、縁となって引き寄せ合いながら、生きる〟
〝いのちの証し〟となって響いてくるものだ。
昔から偶然とされ、あるいは、迷信とされながらも人々の心に定着する色々な話がある。例えば、
〝噂をすれば影とやら〟
〝泣き面に蜂〟
〝弱り目に崇り目〟
〝誰れそれの先魂が来たッ……〟
〝風の便りで……〟
等と、現実感の薄い神秘的な話は、手応えもなく、それでいてどんな人の心にも刻まれていて、消えて消えやらぬ〝真実の影〟となって浮き沈みしているものだ。どれほど剛毅な人でも、この〝真実の影〟を否定し、また、抗しきれるものではないだろう。
それは、自らの生命の中に鎮座する悠久の魂の世界から発するものであり、それはまた、各人の意識の本流であり、今の心の本体であり、個性的自我の実像なのである。
私とは、人霊の総合体であり、食の化身であり、食は、植物の化身であり、宇宙生命の根源と結ぶ生命であり、すなわち、〝複合霊体(総合意識エネルギー)〟であると思っている。
その考えに立つ時、人間は、万物の霊長という言葉から、〝万物霊同〟という思いになり、自然界のすべてが愛しくなり、有難い思いが湧いてくる。
そして、魂に死はなく、今の私の生命(心身)に同化した尊い魂という思いに立つものであり、次に紹介する、〝共時現象八例〟と第二章の〝共時の旅五日間〟で見せてくれる多くの魂も、現実の自分の心も、何一つ変ることなく、活き活きと生き、蔭になり、日向となって表裏一体の尊い生命体であることを、確信させてくれるのではないだろうか。
かねてより妻は、上杉鷹山公に想いを寄せていた。殿の妻、幸姫には殊さらに深い想いを寄せていた。いつの日か、米沢の上杉神社と上杉家廟所を参拝出来る日を、心待ちしていたことを私は知っていた。
ちょうどその頃、山形新聞夕刊一面で、県内の温泉めぐりの記事を連載していて、それを私はスクラップしていた。その中で、特に心を引いた山峡の温泉が心に残り、それも、妻の想いと合流できる米沢市であることから、早速訪れることになった。
平成六年八月三〇日早朝五時一分、自宅を出た車は、一路米沢へと向った。上杉鷹山公経由滑川温泉行きのコースで走ったのである。
妻は、米(稲霊)の意識レベルに在り、私も、米はいのちの光と尊く思い、米の種籾を肌身離すことはない。共に、米は、心の共鳴磁場として一際敬虔な思いの中にある。
上杉鷹山公は、江戸時代随一の名君とも言われており、いのちを守る米については、凶作に備え、城下や村々の蔵に、稲籾のままの備蓄を果たし、天明の大飢饉でも、一人の領民をも欠かすことなく救ったと伝えられている。鷹山公の遺影を残す坐像は、彫刻家、米林勝二、鋳造者は、境幸山が製作に当り完成されている。
〝米〟を心の共鳴磁場に持つ者にとっては、
米沢の〝米の文字〟も
鷹山公の〝米〟に向けるいのちの愛も
坐像担当の、米林勝二の〝米の文字〟も
共に、いのちの米に向ける熱い魂のひびきで結ばれているのではないだろうか。
さらに、上杉謙信公家訓〝一六ケ條〟は、米の数霊シンボル(八八=一六=七)の〝一六〟に、共振共鳴し、やはり、〝米〟との共時性と見てよいのでは、と、秘かに思ってみた。
また、上杉家の家紋は、
〝竹に雀〟
であることを知り、雀とは、また、米にとって縁深い波動を感じさせてくれるし……いよいよ、魂の共振を深めたのである。
上杉家を離れ、一路温泉に向けて走った。温泉は、深山幽谷の自然美に抱かれ、約二二〇年前、上杉藩第九代、上杉重定(鷹山公の妻、幸姫の父)の許を得て開湯され、山峡のいで湯として多くの人々に親しまれて来たと言われる滑川温泉である。
温泉旅館、福田屋に到着し、第一号室に通され、中に入ると、思いは一気に爆発することになった。
鷹山公の魂が、目の前に居られるとしか思えない現象が発現したのである。あまりの驚きで仲居さんに尋ねてみると、
「この部屋(第一号室)だけにこの座布団を敷いてあって、他には、一切使っておりません」
という。
座布団には、花が咲いたように、
〝竹に雀〟
の家紋が織られていたのである。〝竹に雀〟の家紋を持つ上杉鷹山公とご縁いただいたのは、つい先程のことである。さらに、布団カバーには、
〝No. 一六〟
と印されていて、米の数霊シンボル〝一六〟(八八=一六)と共振し、上杉家〝一六ケ條〟家訓とも共鳴するではないか。
次々織りなす魂のひびきは、広く深い普遍の世界、いのちが輝く普遍の世界から鳴りひびいてくる。
また、氣付いたことの一つに、鷹山公の坐像製作担当者〝堺幸山〟 の名前にも、霊妙なるいざないを感じたのである。
〝幸姫の「幸」と、鷹山公の「山」〟と、殿夫婦の各一字を合せると〝幸山〟となるではないか。
ここにも、文字を共鳴媒体としての魂のひびきを感じ、胸の高鳴る思いが続いたのである。
一二月八日といえば、お釈迦様の大悟された日として、各所で〝成道会〟が行なわれることで広く知られている。
昭和六二年の当日のこと、二人の女性が、自ら信仰する東京都下に本部を置く教団に、法要参加するため、自家用車で急拠直行したのは、昨夕のことであった。
二人は、縁あって、妻とも親交を続けていた。出発に際して妻は、これは万一不足した時に役立てて下さいと言ってお金を手渡した。
「このお札は、〝飛鳥せき(霊能者)〟の魂がこめられており、私が、何かにお役立て下さいと言われて、親族からあずかったものです」と、妻は、二人に念を押して手渡したのであった。
初冬といっても、日中は晴れ渡る良い天気に恵まれ、出発当夜は、うっすら雪の気配があるくらいで、心配することもなく車で出掛けたのである。
ところが、日付が八日に変った深夜二時頃のこと、私は、ふと目が覚めかけたその時、
〝アァーッ……ウァーッ……〟
と、二人の女の声を聞いたのである。
その叫び声は鮮かに耳元に残った。その瞬間、昨夕出発した二人のことが気になった。あるいはッ……事故でもあったのではないか……と、全身に冷気が走った。一体どうしたことだろうか
と、しばし、その叫び声が離れず寝就くこともできなかったが、夜も明け、朝を迎えた頃二人から連絡があって、無事に到着したことを報らされた。
あの声は一体なんだったろうか、単なる幻聴ということなのか、と思ってもみたが、いつしかそのことも忘れてその日は過ぎた。
二人は、成道会も終えて、都下を出発したのは夜の六時過ぎである。
翌朝四時頃、微かにひびくべルの音は、眠気に消されて、遠くなり、近くになりながらひびいてくる。鳴り止まないベルの音は、一気に眠りを覚ました。
まさかーッ……という思いが走った時には、ベルは止んでいた。
二度目のベルが鳴り出したのは、五時頃のことである。再び、まさか一つと思い階下に走り、受話器を受けると、
「事故を起したー……」
と、弱々しい女の声がする。
「場所は、どこかッ……」
と聞くと、
「飛鳥の所で、堰に落ちたー……」
というのだ。
「えーッ飛鳥のせき!〝飛鳥せき〟かッ!」と絶句した。
夜通し交替しながら走り続けて、もう一五キロくらいで到達できるという地点で自爆したのである。
幅約二メートル、深さ約二メートルくらいの〝せき(堰)〟に、垂直に落下した如くにはまって大破した。二人の生命には別状なく、僅かの擦過傷と打撲で済む奇跡の事故となったのである。
二人の話から、意外な事実がわかった。昨日の法要に参詣する時、所持金のお札は汚れでいるから、
〝飛鳥せき〟
からの、折目のないお札を抜き出してお供えしたという。あれほど念押しされたことをすっかり忘れて、自我の面目を立てたのである。〝万一不足の時は役立てて下さい〟と言う〝飛鳥せき〟からの真心の約束を破り、教団の面目を第一に考えた二人は
〝飛鳥(村)の、せき(堰)〟
に引き込まれたという他ないのである。
このことは、亡き魂の愛の実在を示すこととして、心の引締まる思いになる。
霊能者、〝飛鳥せき〟は、旧姓、高橋で、最上郡赤倉温泉に出生し、向町の〝飛鳥姓〟に嫁いだ。飛鳥姓のルーツは、飽海群飛鳥郷(現在の平田町飛鳥)から、開拓のため入植したことが始まりと聞き及んでいる。
まさに、二人が落下した場所こそ、旧、飛鳥郷の中心であったのである。
私の庭には、畳大のミニ田圃があって、昨秋は〝亀の尾〟と〝女鶴〟を収穫した。
そして、平成八年四月八日のこと、五年前からパンツの袋に肌身離さず護持した稲籾(ササニシキ)を、昨秋作った〝亀の尾〟と〝女鶴〟の稲穂に交替したのである。亀の尾の創始者は、明治の篤農家、阿部亀治という方で、うるち米〝亀の尾〟はかつて、日本の三大優良品種の一つとして推称されたという。
(略)
ある村の中を徐行している時、庭の他の前に佇む一人の長老を発見したので訪ねてみた。
訪ね人の〝亀治〟ついては、情報は得られなかったが、伺い始めて、文字的に共振する深い魂の世界に改めて心が洗われる思いになった。
○○亀治の所在を尋ねた方が
○○亀三郎
明治四二年一月一五日生れ、八八歳
(略)
阿部亀治が創始した稲、
〝亀の尾〟を身につけ、
○○亀治を尋ねた方が
○○亀三郎である
という。
さらに、訪ねた○○亀三郎さんは、八八歳の米寿を祝ったばかりだという。身につけている〝亀の尾〟は、如何に喜んだことか。
米の数霊〝八八〟と
米寿の祝い〝八八歳〟が
共振する喜びは、これぞいのちの喜びではないか。
さらに、亀三郎さんの地番は、〝一一七〟番地で、私の出生地番も、大字連枝字沼端〝一一七〟番地とぴったり共振共鳴するではないか。
単に、文字合せ、数合せを唯喜んでいるのではなく、このいのちの奥にある〝人間の魂〟の世界、動植物、地球生命、ひいては、宇宙までひろがる〝いのちの情報、心の情報〟が、わが身のいのちに内在するという、その一大普遍性を感じてならないし、そして、自己を見つめる大きな原動力ともなる。
目で見る外界は、わがいのちの中にあり、わがいのちの世界は、外界と何ら変らないという生命感が生きてくる。
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米(食物・自然界)の生命愛に身も心も重ねることで、波乱万丈な人生もどんなに苦しい思いも澄み切ったものへと昇華した著者夫妻。その二人が遭遇した共振共鳴共時の記録は、「こころとは」「いのちとは」という命題に対する答えの証しです。