図・写真を除く文章のみの掲載。
原初の地球が、まだ火の玉であった頃から今日まで、煉りに煉られた悠久の歳月の中で、火の中に含まれていた水は、火の玉の表面に押し出されました。こうして、火と水が分離したと考えてみます。
では、その地球を一個の丸いリンゴに見立てて、半分に割ってみます。すると、表皮の部分はさしずめ、ほぼ海水に覆われているということになります。さらに中心には核があり、果肉の部分はすべて火ということになりましょう。
火と水の玉、これがわれらの地球ということになります。いかに凄い所にわれらが生きているかは一目瞭然であります。
海水であるリンゴの表皮の所々には陸地があって、われらはその陸地に宿を借りて生きています。われらのいのちの根本エネルギーは、火と水の化学合成ということになりましょうか。
優れた人間の知性は、進化の中で磨き上げられて獲得したにしても、きっとそれは、神からいただいた奇跡というほかありません。神は人間を生命ロボットの試作品として、創造されたのかもしれません。その奇跡的知性が、神から除外されない為にも、地球の調和ご意志に、従順にして、順応いたしたいものでございます。
地球にご意志ありと思う者にとっては、当然にして地上万物にも心性エネルギーの存在があることを否定するものではごさいません。山であっても、一片の雲であっても、心性エネルギー体として受け容れることが肝要と思っております。
このたび本書を発刊するにあたっても、その内容は全てにわたって心性エネルギーの顕われとして、考えております。
富士山には、本書の語りの中で多様な呼び名で親しみをもって呼ばせていただきました。雲にしても同じことでございます。そうした流れの中で、「いのち」に対する私の思いを伝えようと試みました。
富士山にも、雲にも、ニワトリにも、タコや鮭にも、カラスにも……ましてや、宇宙根本のいのちの親さまにも登場していただきました。いわば寓話の世界のようでもあります。
また「いのち」の何たるかを、科学的生命観や宗教的生命観とも、共有の一面をもちつつ、特異な生命観の中で書き進めました。
執筆の際の最たるモチべーションは、「富士山と雲」の一枚一枚の写真を凝視することでありました。
写真を見つづける中で、いのちにまつわる物語性の骨格が見えてくるのであります。
ご縁があります皆様方の心には、本書で伝えたいことがどのように映るのかと、とてもわくわくする思いでございます。
著者 菅原 茂
はじめに
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