図・写真を除く文章のみの掲載。
息詰まる死の恐怖
泊められない宿
酒乱と嫉妬の協奏曲
神の絵図面を歩く夫
東京での寮生活が機縁となって、このことが、事業欲の起爆剤となった。
妻のもとに帰ってきた自分は、今度こそ、正念場だった。地元で、請負工事を始めるにも資本はなく、妻に金策させ、ゼロからの遣り直しだ。工事の要は、特許の薬剤であり、それを一升瓶に詰めて、片手にバケツを持ち、諸道具一式持参してのスタートであった。
それらを持って列車に乗って出かける姿は、どこから見ても仕事師には見えない。ところが、この頃の自分は、素太いほどの自信に溢れていた。この道のプロは、東北では仙台に一業者しかなかった。そろそろ、ビル・ラッシュの時代に入ろうとしていた。私は、これからの仕事だとばかり、意気込んでいた。
その甲斐あって、業績は上がるし、従業員も次第に増えていく中、従業員ぐるみの酒の場も、当然に多くなりだした。それまでは、晩酌程度でおとなしくしていた日々だったが、ついに、妻たちの安心も、束の間のこととなってしまった。遠慮しておとなしい状態が、そう長く続くわけもなく、金回りも大きくなっていて、表向き、心回りもでっかくなっていたのだった。
ここは、因習渦巻く村落でのこと。「あの酒乱も立ち直ったようだ……」と、陰評判もゆきわたらぬうちに、「なにーッ」と、躍り出た。
やにわに摑んだ右手に、でっかいバリ一丁を抱えていきり立っていた。三尺もあるバリだから、振り回されて、当たりでもしたら、ひとたまりもない。そのバリを振り回し、並はずれた腕力で、手当たり次第に、ブチ破っていく。
もう、こうなったら、制止できる者は、いない。だから、こんな馬鹿に逆らう馬鹿もいない。ガラッと変わってしまう人格は、まさに、この世の生き物ではなくなってしまう。
妻の期待は白紙になってしまった。そして、またまた受身の日々で生きなければならなかった。
人間は、苦境のドン底にある時は、狂気になるか、あるいは、澄みわたった心境になるか、二つに一つ。
だから、妻はこのたびの乱行には、むしろ、腹を据えていた。その後の、度重なる行動に、妻たちは、内々の手段を考えたであろう。警察、医者と相談したものとも思う。
その年の秋のこと。天高く晴れわたり、仕事を早目に切り上げて、小川に出かけての魚取り、となった。ナマズ、ハヤ、フナの大物を獲って鍋物で「一丁やろうかッ」と、飲み出すアル中音頭となった。
「おいッ、今日はよかったなー。仕事も一段落だし、当てもしねェー雑魚もあるし、一ペいやるにゃーもってこいだッ」
「んだッ、んだッ」
と、相槌する。
「おーいッ、酒ー、酒まだかーッ」
と、上機嫌の私だった。そして、初めの一杯を口に注ぐ時のあの甘さは、この世の天国だった。家族は、私に一杯入ったらこの世の地獄だッと、生きた心地がなかったろう。
その時だった。「ウッ、ウッ……なんだッー、ウッ……」と、苦しみ出した。呼吸が詰まり、胸が苦しく、心臓は早鐘で、飛び出してしまいそうな苦しみとなった。「ウッ、なんだッ、これはなんだッ」。会話にならない。急に七転八倒、もんどり返る苦痛は、酒豪で通してきた今日まで、なかったことだ。
だが、酒飲みの直観はある霊的感知力にも似ていて、「あッ、やられたーッ、薬だッ」と、口走る。「盛ったなーッ」。キリッと睨みつけた形相は、悪魔のあがきであったろう。その後、酒を手にしても、心には、毒殺される者の心理が横切る。妻は、「なにも知らない、体の具合でも悪かったのと違うか」と、無表情の素振りで、話は平行線で逃げていく。
だが、仕事が、次々ときて、多忙となってゆく中で、酒を飲むことが、ある種の恐怖へと変わっていった。
チビリ、また、チビリと、初めて川泳ぎする時の、足探りの心境になる。深みを調べる時の足探りで、チビリと一滴だけ流し込む。「ウッ……大丈夫かッ」。また、チビリ一滴、「ウン大丈夫みていだッ……」。そのうち、必ず呼吸が詰まってくる。「やられたッ」という思いはあっても、
やられて当然
身の上なれば
しつこく詰め寄る
わけもなく
その日その日が過ぎてゆく
その頃から、「俺も、もうこれで終りか。酒の人生も限界かッ」と、呟きながら、次第に怨めしく、一升瓶を見遣るのだった。
妻は、夫の健康は気になるものの、酒乱が消える安堵の中で、複雑な心情であったことは事実だったろう。薬のことで、必要以上に喰い下がることはしなかった。
そんな中で、請負工事の仕事は本拠地を町へ移す決心をした。「オレのことを聞いてくれ。オレの好きなようにやれるなら、一生面倒みるから、町に移ってくれ」と、養父母に詰め寄る。なにはともあれ、何代も続いた村のことである。「死んでも言うことなど聞かれるかいッ、好き勝手に暴れ回った後で、話でもねい、こんなことッ」と、思っただろう。もし、駄目なら、妻子を連れて出ていく気構えだったので、妻が両親の説得に回った。
両親は、年齢的には、五十代であったから、早くも遅くもない、チャンスであった。そうと決まれば、早急に移転開始となる。それは年の暮れの小雪散らつく冬の日であった。
仕事が、ますます繁昌していく中で、酒を飲めばひっくり返っての、苦悶が続き、ついに、酒を慎むようになった。
今度は、宿屋と請負業の二本立ての仕事である。燃えて、燃えて、燃え上がって頑張るよりない。酒を飲むと、死ぬような痛みがやってくるから、にわかに、静かに酒も飲まぬ日々となり、家族の安心度も、かなり高くなってきた。そして、エネルギーを事業熱へと転化したかのようだったが、しかし、依然、妖しく燃ゆる悪魔の炎がくすぶっていて、過渡期を通過中であった。台風のように、吹き返しがやってくるとは露知らず。
「おおーッ、酒飲んでも大丈夫のようだッ。よかったッ、よかったッ」
と、自己満足の夫を、チラリッと見ていた妻の心はどうだったろうか。
大丈夫なのは 体の調子
飲めば呑まれる 酒の罠
飲んでくれるな 夫の助よ
飲めば始まる 酒乱劇
妻は、少々生命の鞘を縮めても、酒を飲まない夫であってほしい、と祈ったことであろう。宿屋は、前の人からの引継ぎだったから、特に、なにもしなくても、客人様がやってくる。
「今晩はーッ」ブザーが鳴る。初めての商売は、素性不明の泊り客だった。「怖いーッ」と、妻は、お客様の来ることが一番嫌いだった。夫だけで精一杯であるのに、酔払って、そばによくわからない女もいっしょだ。酒と女については、身の縮む思いで生きてきた妻だ。出るのは億劫だが、看板を出していて、「うちは、泊められません」とは言えない。だが、ずいぶんと、玄関に錠をかけてしまった日もあった。部屋に通すのが怖いのだ。酔払いもいやだし、アベックもえげつない。どう転んでも、閉店したほうが無難ということである。
この頃、心臓破りをする酒薬のほうも切れ、調子挽回の時期だったが、とうとう、時限爆弾の時間切れとなってしまった。
「客をとらねば宿屋にあらず」と、やむなく勇気をふるって、客通しを始めた。「なんでもない、大丈夫だァ」……。次々と客を扱ううちに、それなりの度胸も身についてくるというもの。しばらく、部屋で長話をするまでになってくる。女ならまだしも、男の客人であれば、階下で気を揉む自分の姿に初めて気がつくことになった。
人を嫉妬させたことはあるが、受身の体験のない自分だった。半ば、アル中のために、頭までおかしくなっていたのか、気が立って気が立って、やり切れない。妻が戻ると、「なんだいッ、いつまでペチャ、ペチャやってるんだッ」と、妬いている自分。我が身をもてあまして、怒りをぶっつけている。そこに、よみがえった魔性の酒だった。唄の文句じゃないけれど、「わかっちゃいるけどやめられない……」となって、大酒車がブレーキなしで下り坂を走り出していた。
今思えば、泣きたくなるほどみすぼらしい根性だった。「もうー、死んじまえーッ」と野次りたいくらいだ。
爆薬は、導火線を離れ、本番へと移ってゆく。養母を、天井高く押し上げて、あわやッ、下へ向かって突き放す状況。「もう誰でもよい」のだと、シッチャカ、メッチャカの狂気の修羅場と化していった。
これほど、やらかす中で、金銭はどんどん増え続け、相当に余裕も出てきた。そのプラスとマイナスのバランスをとるかのように、またまた〝世紀の暴走〟が始まった。絶頂感を味わわせて落とすのも、神の業とも、露知らずに、暴走していくのである。
(このあたりで、みなさんも、いい加減、疲れてきませんか。魂を傷つけるこの酒乱の旅。書いてる本人でも、自分のこととは、とても思えないのだ。目覚めるということが、いかに素晴らしいことか、迷いのない心を持つことが、こんなに嬉しいことかッ……今、生きる喜びを嚙みしめているところである。どうか、みなさんは暗い深刻な気持にならずに、読み進めてもらいたい。いかなる原因の悩みであっても、生命に目覚めてみれば、すべてに喜びを感じて生きられる。心の迷いの、なんたるかを知るならば、この世は天国である。どうか、明かるい気持で読んでもらいたい。)
自分の心と行ないが、善いのか悪いのか。人間として、また、この世で最も恵まれ、生かされている人間として、ごく当たり前のことが、麻痺してしまって、わからなくなってくる。これが迷いであって、歪んでしまった魂の傷といえる。
悪い習慣に気づかぬほど、恐ろしいものはない。現代の自由思想は、どこかが狂っているように思われる。なかんずく、人の心の狂いである。良心が不在の、悪い習慣を、目覚めて正す時、その当たり前の、人の道に目覚める時、子孫はどんなにか幸せになることだろう。
そうこうしているところで、請負業は、特許を持つ、元会社の倒産によって廃業となり、順調の中で、十年の種火は、消え失せることになった。
その後、間もなく始めた不動産取引業も、十六年後に、やはり酒乱の断末魔と共に、地の果てへと消えてゆく。
その頃から、微かに神経症の兆候が出てきた。酒の量がそれほどでもないのに、感情に異変が起きてくる。そして、妻も、宿屋の仕事と、夫の酒のせいで、ダウン寸前だった。階段を、這いながら上下しているところを、何回も目撃した。それなのに、私は、むしろ、甘えと依存心で、慰めるでもなく、手を貸すでもなかった。なぜ、私はこんなに臆病で冷淡だったのだろうか。「どうしたッ、大丈夫かッ」と、手を貸し、勇気づけるのが、当たり前なのに、どうしてそれができないのか。末子の甘え欲求型で育った私は、他に求めることしか知らない人間となっていたようだ。
このことは、冷淡な自己中心となり、形式的他愛心で、自己を守ろうとする性格に育ったといえる。
ルリ荘さんよ 奥さんよ
大変なのよ 大変だー
お宅のオヤジが 暴れてる
うちの女に 嫉妬を燃やし
客商売の やるせなさ
あっちの男 こっちの男
客に笑みるは さだめなの
オレをはなれて あっちの客に
手をにぎられて 媚び入る女
だまれーッ女と 暴れ出す
店は地獄と 早変わり
早く来てくれ 止めてくれ
ルリ荘さんよ 奥さんよ
ある夜のこと、電話のベルが烈しく鳴った。「まさかッ、お父さんが……やったのではッ……」と、妻の予感と胸騒ぎが、電光石火、天井から足の裏をぶち抜く。恐る恐る、受話器を手に取ると、女の悲鳴とママの声が、
「ルリ荘さーん、奥さーん、早く来てーッ、お宅のオヤジが暴れてる。早く止めてくれーッ」
と。こういうことは、本人が家にいなければ、油断も隙もない。
そして、小刻みの乱行があって、大波小波のように波が寄せてきて、病気は重症へと、向かう。
どういうものか、息子は、ただの一度も、私の酒乱を知らずに成人した。奇蹟中の奇蹟。私は生まれて以来、父の酒乱を子守唄のようにして大きくなった。そのため、免疫ができて不感症になったのではなかろうか。
他家では、こうした波乱もなく、平和な家庭が多いと思う。それとは対照的に、私の家は烈しく揺れる動乱の中で、いつしか情緒が曲折してしまっていたのかもしれない。
そんな有り様なので、他家が、とてもうらやましいと思った時期もあったが、その反面、反抗心が潜在心を煽り立てた。
一連の乱行振りと平行して、警察を呼ぶ回数も多くなっていった。妻は、私が、とうに限界を超していたから、後は、いかに夫であっても、警察の手を借りねば、打つ手がなくなっていた。
それにもかかわらず、不死鳥のごとく躍り出た私は、なにかを予見するかのように、酩酊のままで、車を乗り回し、そして、今で言う暴走族に早変わり。
「警察さーん、早く来てください。お父さんが、酔払って、自動車を乗り出したーッ。人でも轢いたら大変だあーッ」
と、絶叫して頼み込む妻。ウオーン、ウオーンと、家の前にパトカーが到着する。
「旦那の車は、ちゃんと車庫にあるではないか、おかしい……」と、入ってくる。その時には、すでに数秒違いで戻ってきていた。警官は、虚を突かれたように、「本当かいなッ」と、疑いたくもなるほどに精妙で、タッチの差の出来事もあった。
こんなことは、一度や二度ではないし、そのたびごとにそうなのであるから、まさしく神技の演技だ。これは、現行犯でないことには、法の外側である。私の兄も、二度ほど呼ばれてきたことはあるが、もう絶交の態度を示した。
妻は、あの手、この手と、翌日になると詰め寄ってくるが、「えいー、そんなにひどかったのかッ。悪い、悪い……」を連発するものだから、上げた心のこぶしも遣り場がなくなってしまう。
ただ、こんな体たらくではあったが、その日その日の仕事だけは、一丁前に遣りこなしてはいたのだった。
妻は、「これは、おかしい……」と、思い始めていた。なにかがあるのではないか、だがわからない。
私が、最後の力を振り絞って、悪魔のあがきをする七年ほど前のこと、
「お父さんは、米の生命がわかるまで、飲ませ続けられたのです。一点の汚れもない米の生命、人の生命を守る米の生命、さらに、透明な酒の生命になっていく。その米の生命のような汚れのない生命になるまで、飲ませ続けられたのです。お父さんは、酒を好きで飲んでいたのではなかったのです。長い間、本当にご苦労様でした。感謝いたします」
と、手を突き、鼻と涙をゴチャゴチャと流しながら、真の感謝の心で頭を下げる妻。
「これはおかしい……お父さんは他の人とは違うのだッ。なにかが違うのだッ」と、思っていたことは、「米の生命がわかるまで、米の生命が生きるまで」の酒人生だったと言うのであった。酒の生命のような、汚れ一点なき心になるまで、米の生命のように、澄み切った心になるまでの、酒人生であったのだと、妻は言う。
妻の、生命の光に通じた米の生命たち、その、言葉のない守りが、私の生命の中では、始まっていた。
さて、そんなことともわからずに、昼の私は、ホテルを建築するため、その計画を進めていた。一億円くらいの工事で、なんとか着工段階まできていた。四十歳を上回っていたその頃、なぜか、運気に陰りを見せていたようであった。妻は、それより数年後になって、こんなことを言いだした。
「この世は、神の絵図面を歩いておるのです」
と。そのことが、顕著に感じられるようになったのは、このホテル建設計画の頃からであり、因果のめぐりが、徐々に近づいていたのだった。
みなさんは、神の絵図面ということを、理解できるだろうか。神と言う時、私は、生命という文字に置き換えて、聞くようになったのだが、いわゆる、この世の必然性の実相ということなのである。
この世が、偶然だけで、天地、大自然が回っているならば、恐ろしくて、夜もオチオチ眠れないだろう。霊妙な宇宙生命のリズムにも、意志の存在(意識する存在)が感じられてならない。そして、相対的に、自動的に働く安定調和エネルギーが作動しているのではなかろうか。
この、必然性の、調和力とも言える中で、どうして、偶然性を持ち出すことができるのかと、つい真剣に考えてしまうところなのである。
この、天の摂理の下でしか生きられない万物の中で、どうして、人間だけが、偶然の人智を頼りに生きねばならぬのか、むしろ、不思議でならない。
「この世は、神の絵図面を歩かされている」という妻の言葉の意味について、ずっと理解に苦しんできたが、最近、ようやく理解できるようになった。
その後、ホテル建設を進めてゆく中、急に、妻たちは猛反対を打ちつけてきた。これまでは、なにひとつ反対しなかった彼女なのに、「家を建てるのであればよいが、ホテルはいやです」と言い出してきた。
だがここで、不思議なことに、これまでは、何事もブルドーザーのように押し切ってきた私なのに、腰折れのごとく、工事をあっさりと中止してしまった。
なにが、どう作用したのかは知らないが、そこに見えざる力が働いていたのは事実のようだ。ふつうでは考えられない出来事となり、急遽、ホテルを自宅建築に切り換えたのであった。
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