共時性と因果性
ユング氏は、「狭義の共時性は、たいていは個人的な例で、実験的にくり返しがきかない。」(『自然現象と心の構造』p.138)としながらも、「空間、時間という承認されている三組の上に第四番目として」(同著)共時的要因の存在を科学的証明によって確かなものにしなければならないという、科学者としての並々ならぬ強い信念をもって研究に没頭していたこととおもわれます。 以下も同著書からの抜粋です。
ユング博士の研究によって、共時性現象は時間の概念や空間の原理では説明がつかない、という認識が一般的です。心の中の世界は、それらの拘束を受けていないからです。私たちは、「時間や空間を超越している」という表現を耳にすることがありますが、心の中の世界は、まさしく時空を超える世界と言えます。
「時空を超える」とは、時間や空間の尺度では心の性質を量れない、ということであると同時に、心の中の世界は時間や空間の束縛からは自由である、ということです。つまり、心の奥底に存在する “ありとあらゆる要素や事象” は、時間的・空間的距離を超えて、「いま・ここ」に存在し得る、そして、場合によっては現象として表出し得るということです。
心の世界には、時間、空間はなく、一面的、一本直通だから、一瞬にして現れる。
出典『酒乱‐米の生命が生きるまで』「生命の樹」▼
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縁に偽りはない。
『酒乱‐米の生命が生きるまで』「神技一瞬、〝刃に変わる水杓〟」▼
縁は生命の調和力 。目の前にやってくる縁は、すべて自分に相応しい縁なのである。縁に偽りはない。私が引き寄せたものであり、みなさん自身が、引き寄せたものなのである。縁は、絶対の力を持って、私たちに逢いにくる。「よくやってくれた」と、ご褒美を持ってくることもあるし、あるいは、「偉いことをやってくれたなッ」と、言いながら、やってくることもある。
だから、みんなの目の前に現われる縁は、すべて、己の目覚めのためにやってきてくれる。善きにつけ、悪しきにつけて、やってくる。私の酒乱についても、当然、「お前は不調和な生き方をしているぞッ、早く気づけーッ」と、催足する現象を示す。
(後略)
「神技一瞬、〝刃に変わる水杓〟」一六八頁
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菅原茂/MBC21/1993年
「いのちとは」「心とは」という文字通りの “命題” について、 体験を通じた非常に強いメッセージを発している。 後年、この著者は『死んでも生きている いのちの証し』『神秘の大樹』を出版しているが、 第一作である本書を読むと、 なぜこの著者が、共時性を切り口にして「いのち」を語るのか、 腑に落ちる。