いのちの真実
共時性は人間の根幹、生命の本質が関わることがらです。私にとって共時性とは、自分のいのちと向き合うたいせつな指標や指針のひとつ。それ以上でもそれ以下でもありません。また、自分以外のだれかに思想や信条などを強要することは、厳に慎まねばとおもいます。
しかしながら、人の「こころ」や「いのち」という、つかみどころのないものが、今も昔も、そして今後も、重要な命題であることにきっと変わりはありません。とても重要なことなので、疑いや誤解を与えないように、だれでも生活において体で実感できる普遍的なことだけを、じぶんの生活経験にもとづいて述べたいとおもいます。
ある山形の夫婦は、友人から見せられた新聞記事の切り抜きで、日月神示、岡本天明、広島絵画展の存在を知ります。いくつかの偶然が重なり、一気に広島への旅程が具体化。当時すでに亡くなっていた岡本氏の故郷「倉敷市玉島」への墓参を兼ねた旅となりました。そして絵画展開催当日の8月6日。広島の「もとやすばし」(元安橋)の上で小さな〝一羽の折鶴〟を発見。昼食のために入った食堂で、折鶴の外見が個性的な色彩であるため何の紙なのか気になったのでしょうか、折鶴をひらいてみた瞬間のことです。「あっ……と息を呑み、ざわめく昼の店内は、しばし、時が止まった」(書籍『死んでも生きている‐いのちの証し』たま出版)と、そのときの衝撃を表現しています。共時性現象の要点は、次のとおり。
二人はすぐに会場へと戻り、折鶴は岡本夫人の手に渡りました。(#画像資料)
広島・岡本天明絵画展の会場を後にした山形の夫妻により、橋の路面から拾い上げられた小さな折鶴。衝撃を受け、もういちど会場へと戻った二人は岡本夫人に起きたことを伝え、折鶴はその手に渡った。折鶴は、16年間、ずっと岡本夫人とともにあり、夫人が亡くなる半年前に上の夫婦の元に送り届けられている。(各々の説明参照)
「日月神示」の取次ぎに生涯をかけた魂
「岡本天明の魂、〝折鶴〟に乗って、妻との出合い」▼
(中略)話は一氣に具体化することになった。妻にしてみれば、一〇年前から「心のむすび」といわれる文章が連続して結ばれてきた。偶然の一致ともいわれている「共時性現象」が、文字(象形、図形を含む)、数字、色に同期して毎日のように発現していた。
特に、数霊で融合する共振共鳴作用が多くなっていた。こうした共時性現象と心結びの文章に対して私が心を寄せ始めたのはまだ日も浅い頃のことである。
こうした動機によって急遽「岡本天明展の広島展」に出席することになり、岡本天明の情報がさらに詳しく知ることができた。
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岡本天明、明治三〇年十二月四日 倉敷市玉島に出生
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昭和一九年六月一〇日、四七歳の時、突然、数字を主体にした神示取次ぎの自動書記を始めた。取次ぎは、一九年間の長期にわたる。
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昭和三八年四月七日、六六歳亡
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第一回天明展開催は昭和三四年七月七日であるが当日は大阪市「鶴橋」で一四〇点の絵画盗難の大事件が発生した、と聞き及んだ。
広島展は、天明展開始〝三四年〟記念という。特に当日は広島原爆記念第四八回と重なっていた。
岡本夫人のお話を拝聴するとすぐに広島平和公園に直行することになったが、ここで忘れがたき一大共時現象が起きている。公園の中には、鶴のモニュメントを天高く揭げている「原爆の子の像」が建っていて、そこには平和の祈りをこめた千羽鶴が何万何十万羽となく子供達によって供え続けられている。
この像と原爆ドームの間には、潮戸内海へと注ぐ元安川がゆったりと流れ、そこに往来のはげしい「元安川橋」が架っている。その橋を少し渡り始めた時のことである。
同行の一人が足元に一羽の小さな折鶴がコンクリートに吸いつくようにして落ちている姿を見た。(中略)押し潰されていた可愛らしい折鶴は、しっかりと両手のひらの中で息を吹きかえしたのである。
(中略)
その小さな折鶴を、地下食堂のテーブルの上で、妻は静かに開いてみた。全開した時、一同あっ……と息を呑み、ざわめく昼の店内は、しばし、時が止まった。その時いち早く時計をみた妻は、
「一二時一三分です」
と言った。先程知ったばかりの天明の生れ故郷「倉敷市玉島」と印刷された太文字が、折鶴の中から光となっていのちを吹きかえしたのであった。
折鶴は、建築会社の広告紙を四等分に切って折り込まれたものであった。この鶴は、遠く、離れた倉敷市の子供たちによって運ばれたに相違ない。風や雨や雑踏のことを考え合せると、当日の出来ごとであったろう。
岡本天明の魂によって引き寄せられた広島‼︎
世界平和の原点となった広島‼︎
その爆心地ともいえる祈りのシンボル、原爆ドームと原爆の子の像との中程に抱きかかえられるようにして、元安川橋の上に舞い降りた一羽の折鶴‼︎
その鶴は、岡本天明の霊魂そのものではないか。折鶴を開き終えた時
「一二時一三分」
であることは、「一二時」は一二ヶ月の陽暦(太陽=日)、「一三分」は、一三ヶ月の陰暦(月)に符号して日と月のひびきとなる。
「日月神示」の取次ぎ
に生涯をかけた魂は、数霊による自動書記で示された世界に類のない大業であると言われている。
「倉敷市玉島」
で出生した岡本天明は、こうして一羽の折鶴に魂を托すようにして、太文字で印刷された公告紙「倉敷市、玉島」を通して、平和のひびきを発したのであった。
このことは是非、岡本夫人にお伝えしてから帰えりたいと思い、再びエ・ソール広島をたずねて事の次第を話して折鶴を手渡すことになったのである。
「第二章 共時現象体験の旅」>「旅の第一日(十月七日)」>「岡本天明の魂、〝折鶴〟に乗って、妻との出合い」五七〜六二頁
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菅原茂/たま出版/1997年
共時性現象の体験記録をもとに、生命の本質は不滅だと伝えている。 酒乱人生から夫婦二人三脚で新たな人生を再出発させた著者。自らの足元を照らすかのような共時性現象の記録を随想としてまとめている。また、本の表紙を飾る稲穂はこの著書の本質を象徴している。
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菅原茂/おりづる書房/2011年
平成5年8月6日の広島平和公園で出合った一羽の折鶴は、「倉敷市玉島」と印刷された広告で折られていた。その地名は「日月神示」で知られる岡本天明氏の出生地。縁結びのしくみを、「心のつる草」など比喩を用いた物語を織り交ぜて表現している。