「見えるもの」だけでは判断できない
いっぽう、理論物理学者であるデイヴィッド・ボーム氏は、著書『現代物理学における因果性と偶然性』のなかで、量子力学の成果や有用性を認めながらも、この実証不能であることを根拠にした因果性なしという論法に批判的な立場をしめしました。
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因果性の概念,運動の連続性,そして個々の微視的対象の客観的実在性の断念が必要であるとするのは、あまりにも早計に過ぎると思われる.(p.134:a)
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因果的に決定される運動が起こる,より深い段階が存在しないという結論は,あらかじめ,このような段階が存在しないと仮定したときにのみ,帰結されるものであるから,まさに,循環論法からの所産である.(p.134:b)
※後述する「暗在系」
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しかしながら,はっきりさせておかねばならないのは,このような批判をしても,量子論が,その独自の領域で正当ではない,あるいは有用ではないというつもりはないことである.むしろ,量子論は,輝かしい成果をあげた極めて重要な理論であり,その価値について異議を唱えることは不条理であろう.(p.142:c)
これらは、不確定性に対する永久的・絶対的な見方への見解でした。ボーム氏は、当時の実証主義的な論法に対する批判的考察を通じて、直面しつつある(するかもしれない)物理学の限界を打ち破り、進化し続けねばならないと考えたのです。
また、ボーム氏は、一般に二つの事象が因果関係にあるように見える場合、要因と考えられるいっぽうは、意味のある原因のひとつだと考えました。(『現代物理学における因果性と偶然性』)
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上述の例では,マラリアの原因はただ一つしかないと仮定して,我々は問題をかなり単純化してきた.しかし、病原菌をもった蚊に刺された人が,すべて病気になるとは限らないから,この問題は,実際には,はるかに複雑である.(p.18:d)
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一つの仮定された原因の変化が結果に相当な影響をもつ事を証明しても,それはわれわれが,意味のある原因の一つを発見したことを示すにすぎないからである.(p.19:e)
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われわれは,理論の中に意味のある原因をすべて組み入れたことを明確にできないのであるから,あらゆる因果律は、それらが適用可能であることがはっきりした条件または背景を規定することにより,常に不備のないものにされねばならない.(p.22:f)
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一対一関係は,完全には実現されない一つの理想化である.しかし,ある限定された条件のもとでは,問題にしている関連体のなかで本質的なものが関与する限り,この理想化に極めて近いので,その因果関係は,近似的に一対一であると考えることができる.(p.34:g)
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このように,問題にしている系外,またはほかの段階に存在する質的に新しい原因的要素を考慮に入れる必要もなく,原理上,無制限に精密な予言が可能な,完全な一対一因果関係として知られている実例は,存在しないのである.(p.35:h)
科学にかぎらず、私たち人間はある意味、複雑な物事を単純化しようとする習性があるようです。科学はそのきわだった例かも知れません。科学は、自然界の法則を発見し、その先の真理を追究しようとするとともに、有用なものをつくるための優れた理論でもあります。
ただ、私たちが注意しなければならないのは、一般的に認識されている「因果性」の実際は、それほど単純ではなく、もっと複雑であり、少なくとも科学的な「法則」は、とても限定的な条件のもとでのみ有効であるということです。
(注)
- ab
- 「第3章 量子論」>「⒏ 不確定性原理に基づく結果に対する批判」
- c
- 「第3章 量子論」>「⒐ 量子論の通常解釈」
- def
- 「第1章 自然法則における因果性と偶然性」>「⒋ 意味のある原因」
- gh
- 「第1章 自然法則における因果性と偶然性」>「⒎ 一対多数因果関係と多数対一因果関係」
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現代物理学における
因果性と偶然性
デヴィッド・ボーム/ 村田良夫訳/
東京図書/1969(昭和44)年
量子力学の成果や有用性を認めながらも、量子力学に対する永久的・絶対的な見方や論法に批判的な立場をしめしたボーム氏。機械論的自然観への批判的考察を通じて、直面しつつある(するかもしれない)物理学の限界を打ち破り、進化し続けねばならないと考えていた。